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コラム

大院大が育てた強打者 日ハム2位ケインの努力【ドラフト会議】

今年もプロ野球のドラフト会議にはたくさんのドラマがあった。日本ハムから2位指名を受けた大阪学院大学のエドポロ ケイン外野手(4年)は10月23日、同大学内で行われた会見で男泣きした。4年前の悔しさと、家族への思い。そこには様々な感情があった。

日本航空時代の指名漏れから開いたプロの扉

「まさか泣くとは思いませんでした。涙(を流す姿)や、落ち込んでいるのも見たことがない。それだけ高校のことが悔しかったんだと思います」

かつて近鉄、阪神に在籍した大阪学院大学の中村良二監督は、記者に囲まれるとそう振り返った。

日本ハムから指名を受けてすぐ、会見場に入ってきた彼は椅子に座ると言葉を詰まらせた。

「高校(日本航空)の時に指名漏れをして…。悔しい思いをしたところから、いろんな人に支えられてきました」

ナイジェリア人の父、韓国人の母を持ち、大阪で生まれ育った。

失意のまま大学へ進み、再び夢を追い続けた4年間。

天理大学、天理高校での指導を経て昨年2月に就任した中村監督は、ケインを大学2年の終わりから見てきた。

「僕ら(大阪学院)は大学と高校が同じグラウンドを使っているので、大学生は夕方には帰って、それから高校が使うんです。アーリーワーク(早出練習)をするのはもちろんですが、高校の指導者から『ケイン君はいつも夜の8時か9時まで残って練習をしていますよ』と言われたことがありました。時間があればバットを振っている。自分の練習時間内でどれだけできるか、それがちゃんとできる子がプロに行ける。こういう子にプロに行って欲しいと思える選手です」

指導者にも恵まれ「1軍で活躍して欲しい」

どんな時も「あの日」のドラフトで指名がかからなかった悔しさを、成長の糧にしてきたのだろう。

ただ、決して全てが順調だったわけではない。

それは中村監督の言葉から窺い知ることができる。

「足も速いし本人は一生懸命にやっているつもりなんだろうけど、ベースの手前で手を抜くことがあった。プロに行くなら、そこは気になるんです。『そこまで力を出し切って野球をしないと、ここぞという時に(力を)出しきれないよ』。そういうことは伝えてきました。4年の秋にはセンター(守備位置)までの行き帰りは学生らしくダッシュで走っていました。野球以前のことですが、たらたら(守備位置に)行くのは違う」

本人の努力、家族の支え、そして指導者にも恵まれてつかんだプロの道だった。

ケインは「これからも誰よりも努力をして、誰よりも活躍ができる選手になりたいです。同じハーフの万波選手のようになれればいい」と目を輝かせた。

中村監督は自身のプロ人生を重ね合わせながらこう言った。

「僕は2軍を行ったり来たりだった。関わった子には1軍で活躍して欲しいので、守備のことは言い続けました。あんなに飛ぶバッターはそうはいない。近鉄にいたブライアントに近い。パ・リーグを代表する選手になってくれたら嬉しい」

教え子の成長は、阪神時代の同僚でもあった日本ハムの新庄剛志監督に引き継がれる。

(元日刊スポーツ特別編集委員、SUNLOGUE代表=益子浩一)

 

総合格闘技で活躍する兄キングの思いも背負ってプロの扉を開いた

大院大エドポロ ケイン外野手の会見コメント 「家族の支えがあってここまで来ることができました。日本ハムは若い選手が多くて強いチーム。新庄さんはスゴい監督で選手をやる気にさせるのがうまい印象があります。僕を選んでくれて、ありがとうございます。外野の守備のやり方を聞いてみたい。エスコンは日本で1番いい球場なので、そこでプレーするのが楽しみです。兄も野球をしていて、プロを目指していたんですけど行けなかった。自分がプロになれて良かった」

兄のエドポロ キング(右)は総合格闘技で活躍。野球でプロになれなかったという兄の思いも背中を押してくれた

兄のエドポロ キング(写真右)も大学に駆けつけて喜びを分かち合った