「亀はウサギを気にせずゴールだけを見ていた」
香川真司、柿谷曜一朗をプロへ導いた名指導者

元セレッソ大阪GM、西村昭宏さん
人生は何が起きるか分からない。
それを教えてくれるのが、サッカーの元日本代表で、Jリーグのセレッソ大阪や京都サンガで監督を務めた西村昭宏さんだろう。
「本当は、学校の先生になろうと考えていたんです。高校時代はサッカーがしたくても、ケガでほとんどできなかった。3年間で10ヶ月ちょっとしか練習ができなかったんやないかなあ。大阪体育大学に進んだのは、選手としてではなく、教師になるためやった」
大阪で育った中学時代。1973年度(昭48)の全国高校サッカー選手権で初出場初優勝の快挙を達成した北陽(現関大北陽)に憧れ、願書を出した。
入学後すぐにAチームに入った。
佐賀県で開かれた夏の全国高校総体を翌日に控えた最後の練習中に、大腿骨を複雑骨折する大怪我に見舞われた。
「シュート練習の時にゴール前でキーパーと接触位して、足が曲がってしまった。次の日が開会式やのに、『こんな時にケガをして申し訳ないです』と謝ったのを覚えている」
翌年のインターハイもチームは全国の扉を開きながら、またしてもケガでグランドには立てなかった。
「マネジャーとして行きました。ずっとケガに泣かされて、3年の時は清風(高校)が強くなった代でした」
全国の舞台でプレーすることは1度もできなかった。
教職を取得するために大阪体育大学に進み、サッカー部で試合に出るようになると、学生選抜に呼ばれる。
そこにいたのが1学年上で筑波大の田嶋幸三であり、年は2つ上ながら1浪して早稲田に入っていた岡田武史だった。
田嶋は日本サッカー協会会長になり、岡田は日本代表監督として日本をW杯へ導く人である。
そして同学年には、後に日本代表で10番を背負う明治大の木村和司や、早稲田の原博実がいた。
1度はサッカーへの道を諦めたはずが、大学では「人との出会い」に恵まれた。
冷戦下にあった世界は1980年のモスクワ五輪開催に向けて、ざわつき始めていた時期だった。
前年にソ連がアフガニスタンに侵攻したことを受け、アメリカに続いて日本も五輪ボイコットを決断。
その頃のことを、西村さんはこう振り返っている。
「まだワールドカップの扉を開く前でプロ化されていなかった日本は、オリンピックが重要視されていた時代でした。その年代の選手は目指していた五輪が飛んでしまったんです。日本サッカー界にとっては、次の世代を強くしないといけない。そういう流れになって、若い世代がたくさん日本代表に呼ばれた」
そこに西村さんの名前もあった。
「もしモスクワ五輪に日本が出ていたら、僕が代表に呼ばれることはなかったと思う」
モスクワ五輪が開幕する1ヶ月前の1980年6月18日、広州(中国)で行われた香港戦で、初めて日本代表のユニホームに袖を通した。
同じグラウンドに田嶋や岡田、原もいた。
大学卒業後はヤンマーに進み、W杯予選などの大舞台も含め、守備的MFとして国際Aマッチ49試合に出場する。
教師を目指していた青年は、いつしか日本に欠かせない選手になっていた。
引退後は指導者となり、釜本邦茂監督が率いたガンバ大阪でコーチ、強化部長。育成を任された1998年末には本田圭佑の荒削りな能力を発掘してジュニアユース入りさせている。
翌1999年にU-18日本代表監督となり、今度は長崎の国見高にいた高2年の大久保嘉人を初めて代表に呼んだ。
U-20日本代表監督として2001年ワールドユースに出場し、当時、年代別世代も見ていたトルシエ監督と力を合わせて日本の強化に力を注いできた。
セレッソ大阪、京都サンガ、高知ユナイテッドの監督を歴任。
セレッソ大阪でGMを務めた2005年末には、無名の高校生で宮城県のクラブチーム(FCみやぎバルセロナ)にいた香川真司をプロ入りさせたことで知られている。
香川と同期入団で16歳でプロ契約した1学年下の柿谷曜一朗は当時から大きな期待を受け、騒がれる存在だった。
一方で無名の少年だった香川はコツコツと努力を重ね、マンチェスター・ユナイテッドに迎え入れられるまでに成長する。
もちろん柿谷も、回り道はあったものの、W杯に出る選手になった。
2人をよく知る西村さんの言葉は、特に印象的だ。
「寮で食事をしている時でも、真司(香川)は体は強くなかったから、ゆっくりではあったけれど、食事をしっかり摂るようにしていました。曜一朗(柿谷)は自分が好きなものをパッと食べるだけだった。まだ16歳やったからね。それを教育できなかった僕自身の反省もあります。ただ、紆余曲折はあったけれど、真司と曜一朗の2人が一緒にW杯(2014年ブラジル大会)に立てたことが、僕にとっては感慨深いことなんです」
そして、こう続ける。
「ウサギはね、亀を見ながらやっていたんです。ずっと亀を気にしながら、時には休んだり昼寝をしたり。でも、亀は1度もウサギを気にしたことがない。彼はずっと、自分が目指しているゴールだけを見ていた」
(写真は本人提供)