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インタビュー

重量挙げ三宅宏実を育てた父に聞く
〜人間形成と目標達成までの道筋〜

〈日本ウエイトリフティング協会名誉会長 三宅義行さんインタビュー〉

本気で五輪目指す選手へ伝えてきたこと

柔和な表情をした人だった。

待ち合わせは、東京都北区西が丘にある味の素ナショナルトレーニングセンター。

日本オリンピック委員会(JOC)が認定する施設には、たくさんのトップアスリートが集う。

日本ウエイトリフティング協会の名誉会長を務める三宅義行さんは、妻の育代さんの運転する車で週5日、1時間かけて埼玉の自宅から通っているという。

9月30日に80歳の誕生日を迎えた。

これまで歩んできた話を聞かせてもらった。

「2028年のロス、その次は32年のブリスベン。そこまでは何とかオリンピックに選手を出したい。選手はそこ(五輪)が目標ですから。4年に1度の祭典に合わせて育成をしているんです」

自身は1968年メキシコシティ五輪で銅メダル。同じ試合で金を掲げたのは兄の義信さんで、兄弟揃って表彰台に並んで脚光を浴びた。

実娘の三宅宏実さんも競技に打ち込むようになり、2004年アテネから5大会連続でオリンピックに出場させている。

2021年東京を区切りとして娘が引退した今も、ナショナルチームの指導にあたる。

「この世界に足を踏み入れて、かれこれ63、4年になります。いろんな経験をしてきましたから。これからは、私がやってきたことを伝えていきたい。『どうやったら、この子を伸ばしてやることができるだろう』。表面だけでなく360度から選手を見ているんです。練習中に肩に違和感があれば、隠していても自然と手がそこにいく。腰が痛い、膝が痛い、それを見逃さないようにしてきました。『痛いなら無理をしなくてもいい』『今できることをやろう』。違う角度から物事を見ることで、怪我をしていても、今やれることはあるはずなんです」

2012年ロンドン五輪の重量挙げ女子48キロ級で、宏実さんは日本女子では初となる銀メダルを獲得。4年後のリオデジャネイロでも銅メダルを獲った。

行かせなかった修学旅行

40歳で初めて恵まれた待望の女の子だ。

目に入れても痛くないはずだが、夢を叶えさせてやるために、あえて心を鬼にした。

「高校生になった時、修学旅行に行かせてやらなかったんです。『本気で目指すと決めたからには没頭してくれ!』『1週間休んだら戻すのに1ヶ月はかかるよ』。まだ高校生ですから、納得はしていなかったと思うが、国を背負ってオリンピックに出るというのはそういうことなんです。自分の娘だと思ったら温情が入る。1人のアスリートと、1人の指導者としてやってきました。家内も『たまには(家族旅行に)行きたいね』と言うことがあります。でも、これが私の人生。日曜日は休みますが、盆と正月はない。1年の計は元旦にあり、というように1月1日は練習場に行く。選手がいれば練習をさせてから初詣に行って、終わったらまた練習をする」

どんなスポーツでもそうであるように、歓喜の時よりも、我慢や忍耐、ひたすらに歯を食いしばって努力を重ねてきた時間の方が長かったであろう。

五輪で輝く瞬間を目指し、愛娘とともに歩んできた時間は21年にも及ぶ。

「思い出はたくさんありますけど、いい事はすぐに忘れてしまう。自分の選手が目標を達成した瞬間は嬉しいが、すぐに忘れて、次の目標へと向かう。その連続でした。全ては人生における通過点」

2021年東京五輪では59キロ級で安藤美希子が銅メダルをつかんだ。

自分が教えてきた選手への思いは尽きない。

「どんな人にも長所があれば短所もある。短所を少し責めて、長所を褒めてやることが大切だと思うんです。今日できないことがあるならば、できることをやらせてみたり、言葉だけで叱るのではなくメニューを増やしてみる。それができたなら『今日は頑張ったじゃないか』と褒めてやる。人は褒められたらやっぱり、嬉しいじゃないですか」

情があるからこそ、競技を終えた後のことも考えてやる。

それが厳しくも優しい、三宅さんのやり方なのだろう。

ボロボロになってから考えては遅い

「入り口があれば出口もある。スポーツはいつまでもできないですから。第2の人生の方が長いのだから、やっているうちに次のことも考えられるようにはしています。しっかり指導をして、能力を出し切らせてやって、それでもオリンピックは難しいと思ったなら選手と話をして、次の道へと進めさせてやるんです。悩んだり、苦しんだりもあるだろうし、『まだやりたい』っていうこともある。ただ、ボロボロになってから(第2の人生を)考えるのでは遅い。ボロボロになると、次に進めない気がするから、納得させて選手を終わらせてやるんです」

三宅さんは法政大学を卒業後、幹部自衛官として自衛隊体育学校に在籍しながら1969、1971年の世界選手権を制覇。長男、次男も本格的に競技に打ち込んでおり、自衛隊を退官してからは指導者として長らく日本の重量挙げを支えてきた。

「痛いとこだらけで、痺れるので右手でハシを持つこともできない。でも痛いというのは生きている証拠なんです」

80歳になった今も、毎日のように練習場へ足を運んでいる。

「生涯、やるんじゃないですかね。結局、この競技が好きなんです」

人を育てるー。

見えない力を引き出すー。

そうやって、世界の晴れ舞台へ選手を送り出してきた。(取材、構成=SUNLOGUE編集部)

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ナショナルトレーニングセンターのロビーで取材に応じてくれた三宅さん(撮影・SUNLOGUE編集部)