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インタビュー

吉野俊郎の心に響いた言葉 決勝前夜に読んだフォアマンの自伝

58歳のカズ、65歳の吉野 「ベテラン」の境地

あれから30年もの時が流れた。

1995年度、ラグビーの全国社会人大会決勝戦(1996年2月11日、花園ラグビー場)。

前人未到の8連覇を目指した神戸製鋼の偉業を阻んだサントリー(現・東京サントリーサンゴリアス)は、ついに決勝まで進んだ。

相手は三洋電機(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)。

最年長35歳の吉野俊郎が輝きを放ち、初の日本一にたどり着いたラグビーファンの記憶に刻まれる試合だった。

当時も「ベテラン」と呼ばれた吉野は、さらに30もの歳を重ねた。

まだ現役。

インタビューをさせてもらったのは夏の終わり。

もうすぐ65歳の誕生日を迎える頃だった。

引き締まった体。

おそらく30年前に見た光景や、1冊の本から触れた言葉が、今も脳裏にあるのだろう。

だからこそ、まだジャージーを脱ぐことをしない。

サッカーでは元日本代表FWで日本フットボールリーグ(JFL)・アトレチコ鈴鹿に所属する三浦知良が11月2日の飛鳥FC戦に出場。自身が持つリーグ最年長出場記録を58歳249日に更新したという短い新聞記事が載っていた。

あのカズより、7歳も上である。

「ベテラン選手に言えることは、頑張りすぎないことなんです。あの試合(1995年度)は、自然体で臨んで、初めてつかんだ優勝だった」

フォアマンが教えてくれたこと

決勝戦の前夜、吉野は1冊の本を読み終えたという。

ボクシングの元統一世界ヘビー級王者で、1度は引退しながらも現役復帰し、45歳で王者に返り咲いたジョージ・フォアマンの自伝「敗れざる者」(角川春樹事務所)だった。

そこに綴られていた言葉は、心に響いた。

「引退してからキリスト教の宣教師になって、再びリングに戻ってきた時の心境が描かれていた。若い頃、『チャンピオンになりたい』『金を稼ぎたい』。そう思っていた時には見えなかった(相手の)パンチが、歳を重ねて現役に復帰し、純粋にボクシングを楽しみたいと考えるようになってから見えるようになった。そんなことが書かれていた。その価値観を胸に秘めて臨んだのが、あの決勝でした」

相手は前身の東京三洋時代から過去7度も決勝に進み、1度も日本一になったことがない。

この試合にかける意気込みはすさまじかった。

後半15分にトライを許し8-27と大きくリードを広げられた。

差は19点。

この時、ふと浮かんだのは前夜に読み終えたばかりだったフォアマンの言葉だった。

「楽しむことが大切だ」

焦りはない。冷静だった。

ぎっしりと観客が埋まった花園ラグビー場。

三洋電機の悲願達成か、それともサントリーがここから奇跡を起こすのか。

会場は異様な雰囲気に包まれていた。

後半21分にNO8オルソンの突破からボールを繋いで吉野が1本返すと、その7分後にも再び吉野が3本目となるトライを挙げた。

20ー27。

そして、時計の針は後半ロスタイムを指した。

サントリーはカウンターから永友洋司、清宮克幸、吉野とボールをつなぐ。

相手を引きつけ、WTB尾関弘樹へ望みを託した。

追いすがる三洋電機の選手を振り切って、インゴールへ。

土壇場で2点差、永友のゴールが決まって27ー27の同点。

両チーム優勝ながら、トライ数で上回るサントリーが日本選手権の出場権をつかんだ。

「楽しもう、そう思ってやった結果、舞い込んできた優勝だった。『勝ちたい』と思うのは重要なモチベーションだけど、単純に楽しんだ時に運とかツキが生まれる。それを知った試合だった」

参考書持参で挑んだ花園、早稲田での経験

茨城の進学校でもある県立の日立第一高校から、3年時に全国高校ラグビーに初出場した。

初戦を突破し2回戦は12ー40で大分舞鶴に敗退。

同学年には、後に早稲田大学ラグビー部で監督を務める益子俊志(現日本大学スポーツ科学部長)がいた。

花園の宿舎では参考書を持参。年末まで部活と勉学を両立しながら、一般入試で早稲田に現役で合格する。

大学ラグビー全盛の時代。

早稲田では本城和彦らと共に「三羽烏」と謳われたが、最終学年(1982年度)は平尾誠二擁する同志社大学の3連覇が始まった年でもあった。

日本一は近そうで、手の先をかすめていった。

「優勝には縁がなかったんです。4年の時は強かったんだけどね。早明戦(対抗戦)は勝ったけど、大学選手権で負けてしまった(準決勝で明治に敗戦)。早稲田の練習は厳しかった。ひと通りメニューが終わった後に1、2年だけが集められてね。そこからダッシュで3~4キロも走る。そこで学んだのは『人間の限界って遠いんだなあ』ってことでした。辛い思いをたくさんしてきたけど、それでも命はあったんだから」

自分の限界を超えよう、もっと強くなろう。

そう思いながら日々、努力を重ねてきた。

大学を卒業してサントリーに進み、35歳で初めて日本一をつかんでからも、まだ成長できる。

いつしか年を重ね、65歳になった今でもラグビーとともにいる。

「よっぽど辞めなきゃいけない理由がない限りは幾つになってもやっているんじゃないですか。カッコ良く言い過ぎかもしれないけど、続けていると新しい人との出会いがある。高校、大学、社会人、クラブとチームが変わっても、常に新しい人とプレーができる。それが幸せなんです」

トップイーストリーグCグループを主戦場とするワセダクラブTOP RUSHERSに、65歳の「超ベテラン」はいる。

彼は走り続けることを止めようとはしない。

なぜだろう。

そう、若い頃には見えなかった景色が、今は見えるから。

ラグビーを心から、楽しめるから。

(インタビュー取材、構成=SUNLOGUE編集部)

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往年の選手らと記念撮影

 

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