INFORMATION記事詳細

インタビュー

映画「チア☆ダン」に学ぶ人間形成①
福井商JETSが全米制覇するまでの軌跡

〈五十嵐裕子さんインタビュー第1話〉

華やかに見えた世界は、暗闇からのスタートだった。
自分自身を「変えよう」とする人だけが、暗闇から抜け出し、光を求めるようになる。
福井県立福井商業高校チアリーダー部を率いる顧問の五十嵐裕子さんにお会いしたのは、関西万博のイベントホール舞台裏にある控え室だった。
赴任からわずか3年で、全米チアダンス選手権で初優勝。
広瀬すずが主演し映画、ドラマとして描かれた「チア☆ダン」のモデルになったチアリーダー部JETSが、大観衆のホールで演技を終えたばかりだった。
「人に影響を与えられるような人になりたくて、先生になったんです。でも、赴任した学校が荒れていたんですよ。殺人以外のほとんどの犯罪に関わりました。暴行や窃盗、万引きは日常茶飯事。自分の未熟さに気づいて、何てダメな教師なんだろう。私はこの子たちの何の役にも立ってあげられてない。もう教師は辞めようと考えていたんです」
どん底だった。
どうしたらいいかも、分からなかった。
進む道を見失い、ただ、逃げ出そうとしていた。
そんな時、テレビのスイッチを付けると、眩いばかりの映像に釘付けになった。
「たまたま朝のテレビで見たのが、神奈川県立厚木高校が全米チアダンスコンテストを制覇したというニュースでした。キラキラと輝くように踊っていて、世の中にはこんなにも素敵な高校生がいるのかと衝撃を受けたんです」
それが人生を変えるきっかけになる。
2004年、五十嵐さんが36歳の出来事だった。

(関西万博で満員の観衆の前で演技する福井商業高校チアリーダー部JETS)

福井で生まれ育ち、県内屈指の進学校である藤島高校バレーボール部の1学年上には後に全日本で監督になる中垣内祐一さんがいた。
若かりし頃の素直な胸の内はこうだった。
「部活なんかやって一生懸命やって何になるんだろう。インターハイや国体に行っても、その道のプロになれるわけじゃないし、やはり勉強の方が大事。私にとっての部活は勉強の息抜きでした。それに学校の先生の立場にたっても、部活の顧問は土日も休めずに仕事。割に合わない仕事だと思っていた」
ただ、本当は熱いものを秘めていたのだろう。
部活なんか、スポーツなんて。
そうは口にしても、学生時代に見たドラマは忘れられなかった。
「『スクール☆ウオーズ』を見ていたんです。ああいう先生になりたかった」
荒れた伏見工業ラグビー部を全国制覇に導く軌跡は、1980年代にドラマとして描かれ大ヒットした。
泣き虫先生こと山口良治さんは、同じ福井の出身。
荒々しい「スクール☆ウオーズ」と華やかに見える「チア☆ダン」は、まるで違う世界の出来事のようでも、どこかで重なる。
「私は劣等生の教師でした。スクール☆ウオーズは、先生がラグビーの全日本ですから。私はコーチの力、生徒の力、他にも沢山の方の力を借りて、全米制覇をしちゃったんです。『どうやってスポーツを教えよう』より『どうやって人を育てよう』と考えていました」
(つづく〜第1話は9月15日に掲載予定)

五十嵐 裕子さんのプロフィールはこちら >>